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都会の時給オソロシス

人生初のアルバイトを始めた娘。
某有名店のオープニングスタッフですって。

ツイで検索したら、すんごい行列の画像が出るわ出るわ。ひぃぃ。
そして店員の態度悪すぎ~って意見も。
娘にそのことを伝えると
「接客はやってない。料理の飾り付けをしてる」。

か、飾り付けってあなた。
美術部ってことを買われて担当になったそうですが、大丈夫かいな。
しかも娘ともう1人ですべてこなしているらしく、休めるの? と聞くと
「まだいつ休みか聞いてない」。
ちょ、それ最初に聞くやつ。

この経験のあと、働くって
・ちょー大変!
・ちょろいなぁ、これでこの金額もらえるなんて
のどちらになるのか、見ものですな。

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これが日常になる日まで

あれほど笑顔で、と言ったのに引っ越しの日はダダ泣きでした。とほほ。

朝食のとき、娘に
「言いたいことがあるんだけど」
と言った瞬間、涙。
「え~、何?」
と問われて泣いている自分にあたふたしてしまい、つい「まなつがいなくなったらさびしいよ……」と本音がぽろっとな。
ふと見ると、娘の目にも涙が。
今度はこっちが驚き。
ウチの娘、めったに泣かないですから。

「どうしても嫌なことがあったら、いつでも帰って来なね。それだけ言いたかった」
とgdgdになりつつも娘に伝えました。
うんうんと娘は頷いてました。

その後、駅まで娘を送って、帰宅してリビングに脱ぎ捨てられたパジャマをみてはまた涙。
片づけて行けや。
10時過ぎには引っ越し業者がやってきて、荷物を積み込みました。
そこで娘からLINEが来て
「鍵がない」。
車を見たら、後部座席に鍵の束が…あわてて荷物の中にねじ込みました。
ったく最後までやらかす女だぜ。

午後は母の命日だったので、一人で墓参りに行ってきました。
墓前でまたまた涙。
私の母親は、こういう別れで泣いているところを私に見せませんでしたが、実はどうだったのかな。
まぁ「子どもが巣立っていって何で泣くの? ひたってるの?」なんて言う人も世の中にはいるわけで、さびしさは人それぞれですな。

実は引っ越しの日の3日くらい前から不調でした、ココロが。
砂をかむような、なんて表現がありますが、本当に食事の味がしなくて参りました。
でもここで体調を崩してなるものか、と普通に食べてましたけども。
眠れないし。
それらは本当に薄皮をはぐように、少しずつ少しずつ良くなってきていて、止まない雨はないんやでーby松本人志を実感しております。

そんでもって、やはり失ったものより得たものに目を向けたい、うん。
得たもの、それは時間だよね。
とりあえずBSで放送していた映画「あん」を平日に見れたー。


巣立ち

娘もダンナもココは見ないので、本音を書きたいと思います。

来週あたまに娘の引っ越しをひかえております。
ついでに現在横浜にいるダンナも、同時に東京の某所へ引っ越し、父と娘の2人で暮らす予定です。
娘はもちろんまだ卒業していませんが、早めに引っ越しをして、バイトをしたいと言うのでOKしました。

で。
この脱力感はなんでしょうね。
娘が出て行くのがこんなにさびしいなんて、まったく想像もしていませんでした。
つい先日まで、ダンナに
「頼むから仲良くしてくれよ……」
と言われるほどケンカばっかりしていたのに。
こんなに気の合わない娘と、いったいいつまで一緒にいなくちゃいけないんだよ、と絶望したことさえあったのに。
そうは言っても楽しいこと、うれしいこと、わくわくさせてくれることが、山ほどあったんだよね。

だいたい家から通える大学を否定して、東京へ行くように仕向けたのは私です。
一度は外に出たほうが良い、いろんな経験をしたほうが良い、と心底思っていました。
大学の4年間を、たぶん人生で一番キラッキラの時間を、思いっきり楽しんでほしいと……それはもしかすると自分の不甲斐なかった人生を、娘に生きなおしてもらう行為だったかもしれません。
良くないことだけど、別人格だし。
わかっちゃいるけど、ピアノをやらせたり、中学受験させたり、そして東京の大学へ行かせたりしちゃったよね。

……やばい、会社なのに泣けてきた。

引っ越しの日は笑顔で送り出したい。
おかあさんは強いな、ひとりでも平気だな、と思われるように。


親の期待がデカすぎた

もうすぐ家を出る娘、積もる話もあるってもんだ。
先日聞いたのは、付き合っていた彼氏とは昨年夏には別れたってこと。
受験生だし勉強に専念しましょうね、ってことで別れたらしいが、本当の理由は「女々しくて女々しくて女々しくてつらいよ~」だったそう。

彼氏は家庭の事情で国公立しか受験できないって話は前から聞いていましたが、ずっと志望校として言っていたA大学(偏差値62くらい)は手も足も出ず。
次の候補であったB大学(偏差値50台前半)も、センターの結果からいって不可能ということが判明しました。
実はB大学でさえ模試でB→C判定と右肩下がりで、もともと無理っぽい志望校だったのです。
娘いわく、
「センターが終わっても親に事実を言えなくて、『どうだったの?』って聞かれて『うん、まあまあ』とか言ったんだって! 信じられない! 早く軌道修正して学校の最終三者面談に備えないといけないのに、私立に切り替えるなら学校で書いてもらわないといけない書類とかあるのに、ぐだぐだ言ってるばっかりなんだよ」
私「えーーーー、何それ。もう奨学金でも借りて私立にするしかないんじゃないの? C大なら何とか通えるでしょ。あるいは専門学校とか」
娘「ダメだよ、プライド高いんだから」
私「あー、ちょっと待て、行けそうな国公立あるじゃん。D大とかE大とか。つか別れたのに何やってんの?」
娘「LINEはするよ、ほかの男子とだってするし」。
へぇ、そんなもんすかね。

結局、面談では某県の国公立・D大学を志望することで決着したそう。
娘ったら東京じゃなくてほっとした……とのたまっております。
「でもさ、D大だって油断したら危ないよね。やっぱりどこか私立受けたほうがよくない? まぁ奨学金返すの大変だけど。社会人になった途端、ウン百万とか借金あるわけじゃん? うーん、でもなぁ」
と私がぶつぶつ言うと
「おかあさんの進路指導、もういい」
と返されてしまったさ。
ちっ。


TOEICナニソレな娘

ノロでセンターを受験できなかった同級生がいたそうな。
ひぃぃ、聞くだけで胸が痛むよ。
でも追試? を受験できるらしく、救済措置があって良かったね。

日曜の夜は娘と2人、お疲れ様会をしました、サイゼで。
サイゼかよ。
そこでしみじみと高校3年間、中学3年間を振り返りました。

受験して私立中へ入ったのはいいものの、カルチャーショックの連続でした。
娘「いやぁ中学時代はヤバかった。忘れもしない、中1の最後の試験で下位3割にまで順位が落ちたもんね」
私「そうだっけ?」
娘「うん。英語がとにかく分からなくて、やる気も無くしてた。でもそこまで落ちて、これは勉強しなきゃ! って思えたんだ」
私「ふーん。勉強してるのに浮上できないのかと思ってた」
娘「ふふん、正直それまではサボってた」。

あら、ご自分をYDKだと仰るか?
英語はYMKだな、やればマシな子。ふふ。
でも自ら危機感を持って取り組めたのは良かったね。

高校生になっても英語の苦戦は続きました。
でも小テストならちょっと勉強すれば点数を取れたので、そこをマメにやったのが良かったかな? と娘の弁。
そうだね、地味~な積み重ねが効いたんだね。

大学から出された英語の課題もあって、いまだ四苦八苦な娘。
どこまで行っても英語は付きまとうから、今後もガンガレ。


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