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よしなしごとども 書きつくるなり
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開腹手術から7年が経ち、へその下の部分は白く引きつれたようになり、それより下のおけけの部分は赤く盛り上がっています。
その傷跡、いまだにしくしく痛むことがあります。
低気圧がくる時とか、雨の降りだしよりも早く痛みがやってきます。
痛くないときは、ほぼ常に痒いのです。
でも場所が場所だけに、日中は我慢するしかありません。

いつまでこんな状態? と思ってググってみれば、治療の方法がいろいろ出てきました。
手術とか(それはいーやーだー)。
ステロイドを注射するとか。
ただしもっすごく痛いんですって。
痛いくせに効果が無い人もいるんですって。
ひぃぃ、ググっただけで疲れたわ。

そのあと薬局でかゆみ止めを買って塗ってみましたが変化はありませんでした。
子宮を取っ払ったときはルンルン()でしたが、こんな罠があったなんて。


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そうだ、書き忘れてましたが、先週の金曜は通院日だったのです。
診察してもらい、無事に医師から
「今日で終わりです」
と言われました。
 
今後は子宮がん検診は受けなくていい、卵巣はお腹が張るといった症状がなければ放置でオケ、だそうです。
「これで婦人科に来ることも無くなりますね」
と先生は笑顔で仰いましたが、どっこいもう別な婦人科にかかってるもんね。
ああそうさ、コーネンキさ。
 
ところで。
このブログをどんな言葉で検索しているのか見ることが出来るのですが、
「子宮全摘」とか「手術 費用」とかが多いようです。
 
若くして全摘をすすめられたら迷うでしょう。
でももう子どもを産む予定もないかたには手術をおすすめします。
出血、痛みを我慢することや、(何らかの病気があれば)通院の手間ひまを考えたら、すっぱり切ったほうが圧倒的にラクです。
 
金銭的なことを考えても、手術と入院で24万円ほど払いましたが、健保から16万くらい返金されたし。
加入していれば、ですが保険会社からも給付金がどーんと入ったし。
数年間も毎月8千円あまり薬代として払っていたのがバカみたい。
 
子宮がなくても生きていける。
子宮のせいで生きづらくなっているアナタ、決めるなら今だっ。

 
昨日は退院後初の通院日でした。
診察してもらって、先生の話を伺いました。
 
退院後も2週間くらいは出血(ほんの少し)していたことを言いましたが、
「そうですか。まぁ大丈夫、順調ですね。腸も良く動いているようです」
って。
それから
「卵巣に出来ていた腫瘍は、筋腫じゃなくてブレンナー腫瘍というものでした。めずらしい腫瘍なんだけど、良性だったから心配は要りません」。
 
ふーん。
と思って帰宅してからググってみたら、卵巣に出来る腫瘍のなかで、2、3パーセントくらいの割合らしい。
確かに珍しいかも。
そして……
「50~70代に多く発症する」。
その意味でも珍しいのか。わっはっは。
 
それからお腹の傷口から縫い糸がぴょこっと飛び出してまして。
「溶ける糸で縫ってるけど、こんなふうに身体の外に出ちゃうと溶けないんですよ。引っ掛かるから切りましょうね。透明だから見づらいの……ちょっと痛いかも」
と言われ、その場でハサミで切られました。
ちょっと出血して、ちょっと痛かった。
 
とりあえず入浴の許可(湯船につかっていいの意)も出て、日常生活に戻って良いと言われました。
が、卵巣の様子を確認するために、3ヶ月に1度は通院することに。
 
もう最後だと思ったのによぅ。
遠いし、いつも込んでるし、ちょいと気が重いです。

 
2011年11月、子宮筋腫のため「腹式単純子宮全摘術」という手術を受けました。
ちょっとグロい部分もあったり、特に男性のかたには「?」な部分もあったりすると思いますが、まぁ(一部の)女性ってのは大変なのねと思っていただければさいわいです。

【プロローグ】
思えば最初っから出血大サービスな人生だった。
いろんな嫌な目にも遭ったが、痛みはほとんど無かったので放置していた。

98年の妊娠時。
「卵くらいの大きさの子宮筋腫がありますね」
と言われ、あぁそのせいだったのねと納得。

04年に痙攣性狭心症で救急搬送されたが、医師に怒られるほど貧血が進んでいた。
ヘモグロビンの値もひどいけど、血液の貯蔵庫(?)が空っぽだよ!
と言われ、しばらく鉄剤を服用。
貧血が改善すると偏頭痛も治った。あら不思議。

07年に激しい腹痛と嘔吐でまた救急車のお世話に。
何の病気かと思ったら「月経困難症」。
そこで医師から、子宮全摘か投薬かの選択を迫られ、後者を選んだ……のが運のつき。

以降、
1年3ヶ月 低容量ピル(オーソM21)服用。セーリが軽くなり快適。
2年   ホルモン剤(ディナゲスト)服用。セーリが完全に止まり、ちょー快適。だが次第に吐き気、イライラなどの副作用が出る。
1ヶ月  低容量ピル(ルナベル)服用。激しい吐き気で速攻服用中止。中止後もしばらく吐き気が続く。
その後、またディナゲストに戻されたり、止めたら大量出血したりで、これはもう手術しかあるまいと決意。
が。
通っていた総合病院→ 非常勤医師のため、手術不可
H産婦人科→ 麻酔科医がいない。手術できるわけないでしょと罵倒される
M日赤→ MRIを撮るも「手術するほどの大きさじゃない」と取り付くしまもない
水戸済生会病院→ 手術OK!!


【11月15日(手術前日)】
10時に水戸済生会病院へ到着。
身長、体重を測ったあと、病室に行く。
とりあえず個室(回復したら大部屋へ移る予定が、結局ずっと個室)。

12時、初の食事。
病院の食事はまあまあでした。興味ないので詳細は省略。

14時、おへその掃除と、てーもー。
電気バリカンでじょりじょりっとな。
その後、シャワー。

18時、夕食。
21時、下剤服用して就寝。

(記事は下へ続く)
【11月16日(手術日)】
6時、採血のあと浣腸。
「やったことあります?」
と聞かれたのであると答えると、看護師は液を注入すると「お願いしますね~」と行ってしまった。
あれ、どのくらい我慢するんだっけ? うーん腹いてぇ、もうだめ、20秒くらいだけど良いよね?

結果、普通の排便って感じでした。
「まぁ出たならいいわよ」と看護師。
本当は2、3分は我慢だったらしい。

8時、点滴開始。
この日は飲食不可なので空腹感を感じ始める。

12時頃、ダンナが到着。
13時、看護師が呼びに来て、いよいよ手術室へ。
徒歩でぞろぞろと歩く。

途中で「ご主人はここまでです」と言われ、「がんばってな」「うん、じゃーねー」と別れる。

手術室に入ると便所スリッパのようなものに履き替え、パジャマの上着だけ脱いでくださいと言われる。
さっとバスタオルで隠してくれて(この辺の気遣いがすごいなぁと思った。こっちとしちゃあもうどうにでもしてくれ状態だったんだが)、そのまま手術台へ上がる。

胸や腕にいろいろ装着された。必ず説明つき。
次に背中を丸めて横向きで寝るように指示され、麻酔医がこれもいちいち説明しながら硬膜外麻酔をかける。
あんまり痛くなかった。
仰向けに戻って、「では点滴から麻酔液が入ります」と言われた瞬間、眠っていた。
一瞬セメダインのような臭いがしたような。
つか下半身パジャマのままだけど良いの? なんてことも思った。
きっと眠ってからやってくれたのね。

次に目覚めたときはもう元の病室のベッドの上だった。

手術自体は2時間ほど、いろんな処置を含めて3時間ほどで戻ったらしい。
ダンナが医師に、切り取った子宮を見せてもらいながら聞いたところによると
「子宮筋腫が3個ほど、一番大きいのでゴルフボール大。あと珍しいんですけど、左卵巣にも筋腫があったので取りました。これもゴルフボール大ですね」。

そう、大きさも個数もたいしたことはない、ただ粘膜下筋腫という種類で、タチが悪かったのだ。

麻酔医が来て
「背中に麻酔が入っていってますからね。このボタンを押すと量が多くなりますから、痛いときは押してください」
と言われる。
少し気持ちが悪いと訴えると
「二日酔いみたいな状態になるんですよ。あんまり吐き気がするときは量を減らすこともできます」。

夕方、ダンナが帰る。
その夜はフットポンプのせいでほぼ寝られず。
血栓予防のために、両足に空気で膨らむマッサージ器のようなものが取り付けられていたのだ。
(これによる筋肉痛が、その後1週間ほど続く。マッサージされ過ぎも身体に良くないらしい)
看護師も1時間おきにやってくる。
ただ、傷の痛みだけは皆無。

(記事は下へ続く)
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