重松清(筑摩書房)
昭和38年生まれの「お父さん」が娘に語ってきかせる等身大の昭和史。
筆者も「お父さん」と同じ年齢。ということは、まさに重松氏の歴史を語ったのであろう。
テレビはすでに居間にあり、新しいモノ、誰もが欲しくなるものを発信し続けていた時代。
パパ・ママという呼称が一般的になり、子供からみた親は無条件に尊敬する対象ではなくなっていった時代。
皆が中流意識を持つようになり、そこからはみ出た人々を思いやる余裕のなかった時代。
筆者はそんなふうにこの時代を切り取った。
私も同世代なので、けっこう興味深く読むことができた。が、結末がいけない、というかあまりにも当たり前の話になってしまっている。
1960年代からこれまでを振り返って、ただ感傷に浸ってみたかっただけ? と思ってしまった。
55点
昭和38年生まれの「お父さん」が娘に語ってきかせる等身大の昭和史。
筆者も「お父さん」と同じ年齢。ということは、まさに重松氏の歴史を語ったのであろう。
テレビはすでに居間にあり、新しいモノ、誰もが欲しくなるものを発信し続けていた時代。
パパ・ママという呼称が一般的になり、子供からみた親は無条件に尊敬する対象ではなくなっていった時代。
皆が中流意識を持つようになり、そこからはみ出た人々を思いやる余裕のなかった時代。
筆者はそんなふうにこの時代を切り取った。
私も同世代なので、けっこう興味深く読むことができた。が、結末がいけない、というかあまりにも当たり前の話になってしまっている。
1960年代からこれまでを振り返って、ただ感傷に浸ってみたかっただけ? と思ってしまった。
55点
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