NHK「東海村臨界事故」取材班(新潮社)
99年9月。茨城県東海村で臨界事故が起きる。
作業中だった男性二人が致死量の放射線を浴び、病院に収容される。そのうちの一人、大内氏の83日間の闘病を記したドキュメント。
この事故で死者が出たということは知っていたが、こんなに壮絶な闘病があったことは知らなかった。
入院当初は普通に会話も出来ていたが、あっという間に病状は悪化し、まさに大内氏の身体は朽ちていった。
染色体はバラバラに破壊され、そのため皮膚は再生力を失ってただれ、大量の体液が浸み出していたという。
そんな生き地獄のような日々を耐えたご本人とご家族の心情は察するに余りあるが、あれもだめ、これもだめ、と打つ手を失っていく医師や看護婦の苦悩もまた読むのが苦しい程だった。
二度とこのようなことが起きないよう祈る……と言いたいところだが、本当は一度だって起きてはならないことだったのだ。それほど彼の死は残酷で重い死であった。
90点
99年9月。茨城県東海村で臨界事故が起きる。
作業中だった男性二人が致死量の放射線を浴び、病院に収容される。そのうちの一人、大内氏の83日間の闘病を記したドキュメント。
この事故で死者が出たということは知っていたが、こんなに壮絶な闘病があったことは知らなかった。
入院当初は普通に会話も出来ていたが、あっという間に病状は悪化し、まさに大内氏の身体は朽ちていった。
染色体はバラバラに破壊され、そのため皮膚は再生力を失ってただれ、大量の体液が浸み出していたという。
そんな生き地獄のような日々を耐えたご本人とご家族の心情は察するに余りあるが、あれもだめ、これもだめ、と打つ手を失っていく医師や看護婦の苦悩もまた読むのが苦しい程だった。
二度とこのようなことが起きないよう祈る……と言いたいところだが、本当は一度だって起きてはならないことだったのだ。それほど彼の死は残酷で重い死であった。
90点
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