山田風太郎(講談社)
終戦の年、昭和20年。その一年間に筆者が認めた日記。
とにかく長くて参ったが、筆者は削除も訂正もせずに、敢えて全文収録という形を取ったらしい。取捨そのものが一種の虚偽となるおそれがあるからだそうだ。
なるほど、何日も続く空襲も大火も、当時生きた人はそれが真実だったのだから、読むほうが「飽いた」などと言うのは不遜というものであろう。
全編を通して感じたことは、日本人は(あるいは人間は)しぶとい、ということである。
今日死ぬか明日死ぬかの極限状態にありながら「何でも、運ですなあ」と言い合って、さびしく微笑する男たち。
筆者である山田青年もまた、絶え間なく読書し、思索し、時には芝居を観たりもする。
米国の余裕とは比ぶべくもないのであろうが、どことなくのんびりとした空気が漂うあたりが、開き直った強さを感じさせ、現在の日本の繁栄を予感させもするのである。
60点
終戦の年、昭和20年。その一年間に筆者が認めた日記。
とにかく長くて参ったが、筆者は削除も訂正もせずに、敢えて全文収録という形を取ったらしい。取捨そのものが一種の虚偽となるおそれがあるからだそうだ。
なるほど、何日も続く空襲も大火も、当時生きた人はそれが真実だったのだから、読むほうが「飽いた」などと言うのは不遜というものであろう。
全編を通して感じたことは、日本人は(あるいは人間は)しぶとい、ということである。
今日死ぬか明日死ぬかの極限状態にありながら「何でも、運ですなあ」と言い合って、さびしく微笑する男たち。
筆者である山田青年もまた、絶え間なく読書し、思索し、時には芝居を観たりもする。
米国の余裕とは比ぶべくもないのであろうが、どことなくのんびりとした空気が漂うあたりが、開き直った強さを感じさせ、現在の日本の繁栄を予感させもするのである。
60点
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