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決戦の金曜日

今日の午後、娘の学校で三者面談です。

あーーーーー行きたくない。
行きたくなさすぎて、吐き気が止まらないー。

「問題のある子のママって学校に来ないよねぇ」
なんて小学校時代は噂したもんですが、自分がその立場になってよぉく分かったよ。
先生にお小言もらうだけなんだもの、そりゃあ「行ってもしょーがねぇ」ってなるわよ。

ま、行くけどさ。
そして事実をありのままに先生には言うつもり。
人はそれを「悪口」と言うかもしれないけども。
**********************

再放送されていた「美しい隣人」。
何気なく見始まったら止まらなくて、最終回はわざわざ録画して見ましたよ。

仲間由紀恵のラストのセリフが聞き取れなくてググったら
「あっ…」
「良かった」
「勝った」
など、諸説あるようで。

私は「良かっ(た)」って聞こえました。
アンタが自分の子どもが助かって「良かった」って言ったのが許せなかったんだ!
それが私の意地悪の原因なの!
と、言ったんじゃないかなーと。

しっかし、みーんな仲間由紀恵に惚れちゃうんだもんね。
美しいって得ねぇ。
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偶然

だと思いますが、今年は喪中のハガキが例年以上に届いています。

そういえば年賀状もそろそろやらないと。
図案は考え中なのですが…
娘が中学入学だったので、制服姿の写真を入れようかと思いましたが止めました。
別にめでたくねーし。

ところで。
ダンナの友人から届く年賀状のなかで、ずーーっと私の名前の漢字を間違えて書いている人がいるんです。
結婚以来、ずーーーっと。
住所も数年前に住居表示が変わったのに、それも古いまま。

毎年住所録のデータと前回来た年賀状の住所をチェックしている身としては、どんだけ大ざっぱなの? と、見るたびモヤモヤするのであります。

自分の友だちなら指摘も出来るけど、ダンナの友だちだからねぇ。

仕事ちう

今日から出勤してみました。
勝手に時短出勤。
まぁぼちぼち慣らしていかないと、身体にさわるからねぇ。
*********************

娘とはまだ冷戦が続いています。
そんななか、娘の小学校時代のママ友さんに会ったので、最近の娘の悪行三昧を言ってみました。
その人は大学生の娘さんもいるので、分かる分かると話を聞いてもらえました。

「ほんっと憎ったらしいこと、あるよね。中一だとちょっと早いかな? って気もするけど、誰しも通る道だよ」
って。

そうなのー? つか優しさがまったく無いんだよ、どうしてあんな子に育っちゃったのかな? と言うと、
「子どもの良くないところって、自分の嫌なところと似てたりしない? それと家族だからってことに甘えて、つい冷たい態度だったりすること、あるじゃない。そうすると、子どもも優しくなくなっていくっていうか…だからこっちが優しく接したら、子どもも優しくなるような気がするんだけど」
って。
えーと。
今は無理。きっぱり。

帰宅したダンナに、↑のことを話すと
「あんまり外で愚痴らないほうがいいんじゃない? まなつちゃん、荒れてるらしいよ~なんて○○中(公立中)で噂にならないか?」。

はっっ。
そんなこと、まったく考えてなかったよ。
せめて愚痴くらいこぼしたいのに、それさえもダメなのか。
嗚呼。

タブーをおかす娘

携帯没収中の娘。
ですがメールがどしどし届くので、たまに返却→がっつりメールの返信、という日々でした。
先日娘の携帯を見ていたら、チェーンメール(内容は性格診断)のようなものを複数の友だちに送信していたことが判明。
ダンナと二人で
「前にもそーいうことして叱られたのに、またか!?」
ときつく言ったら、
「勝手に携帯を見るなんて! 友だちも『そんなことされたら死ぬー』って言ってた!」
と逆ギレする娘。
つーか、今までアンタがメールしてるのを覗いたって、嫌がることもなくふつーにしてたじゃん。
こっちはお金を負担してるんだ、見たっていいよね? って確認したじゃん。

やいやい反論したら、ぷいっと自分の部屋に行ってしまった娘。
その後、悔しくて号泣してたらしいです。

そして昨日。
期末テストの話になり、
「幾何、がんばったのに68点だったんだ。でも平均よりは10点くらい上だよ」
と言うので、
68点ねぇ、上位の成績ではないわな。(時間が足りなかったと言っていたので)次はもっと速く問題が解けるようにしないとね。
と言うとまたキレて
「がんばったことは全然認めてくれなくて、そうやってダメ出しばっかりして!!」。

そこから大ゲンカ。
「おかあさんが嫌だから、家に帰って来たくないんだよ! だからギリギリまで学校にいるんだよ!!」
と言う娘。

なーーーーにーーーー?

「よくもそんなことを言ってくれたね。絶対忘れないからな。親にそんなこと言うなんて、悲しすぎて涙も出ないわ。わかった、もう何も言わない、代わりに何も手を出さないから。勝手にしろや。携帯も返すわ。それで成績が上がったら、土下座して謝ったる。ま、どんどん成績が落ちても別にいいけど。アナタの人生ですから。私はまったく困りませんから」
と、怒りにまかせて言う言う。

そして約束どおり、今日はお弁当も作らず(ダンナが自分の分と一緒に作ってあげてたけど。甘ーーい)。
雨の日はチャリが使えないので、今までは駅まで送っていってたけど、それもなし、徒歩(20分くらい)で行ってもらいましたとも。
寒くて大変だったでしょう(棒読み

もうね、腹が立ち過ぎて傷口はずきずきするわ、血圧あがるわ、身体こわすっつーの。
またしばらく冷戦が続くんだろうな。
もう逃げ出したいです……orz

子宮全摘手術 体験記(その1)

2011年11月、子宮筋腫のため「腹式単純子宮全摘術」という手術を受けました。
ちょっとグロい部分もあったり、特に男性のかたには「?」な部分もあったりすると思いますが、まぁ(一部の)女性ってのは大変なのねと思っていただければさいわいです。

【プロローグ】
思えば最初っから出血大サービスな人生だった。
いろんな嫌な目にも遭ったが、痛みはほとんど無かったので放置していた。

98年の妊娠時。
「卵くらいの大きさの子宮筋腫がありますね」
と言われ、あぁそのせいだったのねと納得。

04年に痙攣性狭心症で救急搬送されたが、医師に怒られるほど貧血が進んでいた。
ヘモグロビンの値もひどいけど、血液の貯蔵庫(?)が空っぽだよ!
と言われ、しばらく鉄剤を服用。
貧血が改善すると偏頭痛も治った。あら不思議。

07年に激しい腹痛と嘔吐でまた救急車のお世話に。
何の病気かと思ったら「月経困難症」。
そこで医師から、子宮全摘か投薬かの選択を迫られ、後者を選んだ……のが運のつき。

以降、
1年3ヶ月 低容量ピル(オーソM21)服用。セーリが軽くなり快適。
2年   ホルモン剤(ディナゲスト)服用。セーリが完全に止まり、ちょー快適。だが次第に吐き気、イライラなどの副作用が出る。
1ヶ月  低容量ピル(ルナベル)服用。激しい吐き気で速攻服用中止。中止後もしばらく吐き気が続く。
その後、またディナゲストに戻されたり、止めたら大量出血したりで、これはもう手術しかあるまいと決意。
が。
通っていた総合病院→ 非常勤医師のため、手術不可
H産婦人科→ 麻酔科医がいない。手術できるわけないでしょと罵倒される
M日赤→ MRIを撮るも「手術するほどの大きさじゃない」と取り付くしまもない
水戸済生会病院→ 手術OK!!


【11月15日(手術前日)】
10時に水戸済生会病院へ到着。
身長、体重を測ったあと、病室に行く。
とりあえず個室(回復したら大部屋へ移る予定が、結局ずっと個室)。

12時、初の食事。
病院の食事はまあまあでした。興味ないので詳細は省略。

14時、おへその掃除と、てーもー。
電気バリカンでじょりじょりっとな。
その後、シャワー。

18時、夕食。
21時、下剤服用して就寝。

(記事は下へ続く)

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