四十九日法要が終わって、忌明けとなりました。
喪中ですけど、忌中ではなくなったのです(その差を初めて知ったけど)。
さて。
実家の片付けを弟と一緒にやったことはココにも書きました。
大量の衣類は、まぁ生前から察しがついてましたが、大量の書類には驚かされました。
特に日記のたぐい。
家計簿のメモ欄に、あるいは普通のノートに、ゆうに20年分はありました。
それよりも古いものは後で書き直したらしく、1ヶ月1行日記のようなものが1冊のノートになっていました。
実家に行くと、こたつの上にノートがどどーんと置かれていることが多かったので、これは亡くなったら読んで欲しいんだな…と思っていたのです。
で、持ち主のいなくなったそれらのノートを、片付けをしながらざっと目を通しました。
弟は
「文句書いてあったら嫌だから、オレは見ない」
と言ってましたが、それ正解。
詳しい内容は書きませんが、その負のオーラに打ちのめされました。
痛い、つらい、悲しい、最後には死にたい、と。
読んだ直後は、それこそ冷や水を浴びせられたような気になりましたが、日が経つにつれ、母にとっては書くことがストレス解消だったんだろうな、こうでもしないと、やってられなかったんだろうな、と思いました。
私への愚痴もいったんは腹にしまって、後でノートにがっつり書いていた。
母らしいっちゃ母らしい。
母は私に負い目を感じていたのです。
自分のせいで娘に不幸な子ども時代を送らせてしまった、と。
それは事実ですが、いい大人になった娘に対して、いつまでも遠慮をするから、
娘→つけあがる
母→鬱憤がたまる
という、おかしな関係になった気がします。
結論。
人の日記は差し出されても読んじゃダメぜったい。
喪中ですけど、忌中ではなくなったのです(その差を初めて知ったけど)。
さて。
実家の片付けを弟と一緒にやったことはココにも書きました。
大量の衣類は、まぁ生前から察しがついてましたが、大量の書類には驚かされました。
特に日記のたぐい。
家計簿のメモ欄に、あるいは普通のノートに、ゆうに20年分はありました。
それよりも古いものは後で書き直したらしく、1ヶ月1行日記のようなものが1冊のノートになっていました。
実家に行くと、こたつの上にノートがどどーんと置かれていることが多かったので、これは亡くなったら読んで欲しいんだな…と思っていたのです。
で、持ち主のいなくなったそれらのノートを、片付けをしながらざっと目を通しました。
弟は
「文句書いてあったら嫌だから、オレは見ない」
と言ってましたが、それ正解。
詳しい内容は書きませんが、その負のオーラに打ちのめされました。
痛い、つらい、悲しい、最後には死にたい、と。
読んだ直後は、それこそ冷や水を浴びせられたような気になりましたが、日が経つにつれ、母にとっては書くことがストレス解消だったんだろうな、こうでもしないと、やってられなかったんだろうな、と思いました。
私への愚痴もいったんは腹にしまって、後でノートにがっつり書いていた。
母らしいっちゃ母らしい。
母は私に負い目を感じていたのです。
自分のせいで娘に不幸な子ども時代を送らせてしまった、と。
それは事実ですが、いい大人になった娘に対して、いつまでも遠慮をするから、
娘→つけあがる
母→鬱憤がたまる
という、おかしな関係になった気がします。
結論。
人の日記は差し出されても読んじゃダメぜったい。
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